ガンプラ、とくにMSVを軸に、ガンダムでのデザインワークスから、MSVの大まかな経緯。いまだから語れる、ガンダムデザイナー大河原邦男と、モデラーとして名をはせた川口克己のトーク。前編は全体を俯瞰したお話をうかがった。 いまあらためて振り返ってみるガンプラの姿。
そして、MSVは何を語ろうとしてていたのか? 今後のガンプラの展望、20年という歴史の重み、そして『GUNDAM OFFICIALS』へのメッセージ。宇宙世紀のガンプラ談義? をお送りします。

■『ガンダム』開始からガンプラ誕生までの流れ

――まず、ガンダムのデザインの経緯と言いますと?

大河原
 結局、主人公側に対しては、いろんな人の意見が入るから。ガンダムもいろんな人の意見が入っていて、安彦さんがまとめたというところもあるし。一番最初はガンキャノンが主役という感じだったんですよね。ただ、それだと商売上つらい感じだったし、三つ作ると商売的に採算が取れるらしいんだよね。ザンボットも三体合体だったし。それで、スポンサーさんに納得してもらうためにはプレイヴァリューがきゃいかんということで、ガンタンクも加えて、ガンダムを主役にして、コア・ファイターを中心に3通りに換装できる。ということでOKをもらったんですけどね。まあ、実際にはあまりそこがキーにならなかったんですけど。これだけハイターゲットで、年齢層が高いのがわかっていれば、違うデザインにしたと思いますよ。だけど、売れる売れないなんて言うのはわかんないものねぇ。まずはスポンサーさんがOKしないと、にっちもさっちも行かない世界ですし、当時はそういう高い年齢層が狙えるなんて誰も気付いてないようなところもありましたから。敵は絶対にプラモというか、オモチャにはならなというのが当たり前だったから、ザクにかんしてはガンダムに対峙するモビルスーツはこういう形がいいんじゃないかということで勝手にできましたし。ただ、モノアイだけは監督がこだわっていましたけど。でも……今見ても1週間でデザインしたとは思えないよなあ。ザクは(笑)。このザクだってね。左右非対称にするということで、当時のアニメ界ではいやがられるものだったんですよね。それを富野さんがOKと言ってくれすね。それで、動力パイプとか、そのあたりはひとつのアクセサリーとして考えたんですね。オンワードなんかにいて背広のラインなんか相当描かされたので、背広のラインとベルトのイメージ。でも、この肩のトゲトゲというのは敵メカの定番なんですよね。

――それが左右非対称になったのは大河原さんからの提案で?

大河原 なんとなく手が動いたんですよ(笑)。これとハロはそう。ハロは『ダイターン3』のひとつとしてデザインしたのを、そのまま『ガンダム』で使おうという。富野さんというのも先見の明があって「これは主役はれるから、もったいないからメカマルに使うの止めた」と言って、その時出していたデザインの中からハロだけ抜いて、次の作品に使おうということでとっておいたんですよ。ホワイト・ベースなんかもそんなノリで。あのときは、サンライズの自社作品というのは1本だったから、そういう融通というのは付けられたんですよね。

――本放送のころ、川口さんは?

川口 僕は高校生でした。アニメーション自体は昔から好きで見ていましたしたが、プラモは、とくに戦車とかミリタリー系が好みで、だから『ガンダム』を見たときにそういうミリタリーっぽさみたいなところが好きで見続けたのはありましたね。模型仲間にもそういう人が多くて、当時はプラモは出てなかったですけど、ないものは自分たちで作っちゃおうというのがきっかけでしたね。ちょうど多くのモデラーさん達がスケールモデルに資料至上主義みたいな息苦しさを感じていた頃だったので、僕もそうですけど転んだ人は多かったですよ。
 ただ、メカばっかりじゃなくて、僕の場合キャラクターが好きで見る方が多いですよ。で、『ガンダム』の場合はマチルダさん。そこからはまりましたね(笑)。
 それでもフルスクラッチのザクを作っていたりはしたんですが、ガンプラがでるというのは驚きました。放映後に商品が出るということで(笑)。あと、僕は基本的にプラモデル使ってどうするというのが楽しみだったもので、商品として出てくれればそれを使って色々楽しめるし、まるまる1個を作り上げる必要がないから色々できて楽しそうだなというのはありましたね。

大河原 僕は、ガッチャマンやっているときにイマイさんからプラモデルが出たから、そういう流れになるだろうなあとは思っだけど。ただスポンサーがクローバー(『機動戦士ガンダム』初放映時のメインスポンサー。放映時にはダイキャスト製のDX合体セットなどを出していた。後に倒産)だったから、プラモは当分出ないだろうとは思ってたんですよ。それで、自分なりに木を削って作り出して作ってたんだけど、完成しなかった。大変なんですよ、両手両足作るっていうのは。そういう矢先に、バンダイさんの方でプラモを出すという話だったので、これ幸いと(自作は)止めました。苦労は人にしてもらおうと(笑)。

■MSVの登場と遷移は?

――MSVの原点は大河原さんがムックに発表されたイラストともお聞きしてますが?

大河原
 うん。安井さんの方からの要請で、講談社のムック用に描き下ろしたんだよね。たとえば、今度は砂漠戦用のザクを出してくれ、とか発注を受けて。

――そのあたりでのストリーム・ベースさん的な関わりと言いますと?

川口
 僕は物作りのほう専門にやってましたのであれなんですけど(笑)。とにかく、絵があって、実際に立体物があって。これは本物みたいだというイメージを読者に与えていくような形で動いていました。当初は『ガンダムセンチュリー』で名前だけあって、絵が存在しないモビルスーツというのがザクだけでもいっぱいありましたから、それを順番と言ったらおかしいですけど、大河原さんにお願いしてという形だったと思いますね。それで、実際にMSVや何かを商品化ということで動き始めてからは、その流れのなかでということになりますよね。

大河原 深く考えないで適当にやっていたから。今から考えれば、もう少ししっかりやっとけばよかったなあ(笑)。

川口 だから、多分たどっていくとデザインというより色付けの方で大河原さんの描かれたポスターとか、グリーンのガンダムとか。あのへんが元になってきていると思うんですよ。出版社さんの方もそうだと思うんですけど、僕らの方でもトリコロールでなくてもガンダムでいいんだこういうのもありなんだ、というのがあって。

大河原 どうせ終わっちゃったんだから遊んじゃおうっていうのがあったんだよね。だから、僕もイラストを描く度に違うのを書いていた。まさか、これだけ続くと思ってなかったから。それだったら遊んでいいんじゃないかな、と注意書きを入れたり、ディティールアップしたり。あと、アニメでははあんまり線が多いとダメなんだけど、模型だったら少々手を加えても、たぶんストリーム・ベースの方が苦労されるだけだから、と(笑)

――当時の記事は、たとえばバズーカラックのイラストがあって、それを制作するための提案が載っているという感じでしたよね?

大河原
 安井さんはそういうのを意図してたんだよね。

川口 そのへんは商品の発売予定と合わせてネタを入れて。基本的に『コミックボンボン』でやったときは読者の方がちょっと頑張ればうまくできそうな、ワンポイントのアレンジということで。イラストの方もそれでお願いしていたと思います。読者を置いていかないように、というのが安井さんの意図されたところだと思いますし。

大河原 媒体が模型誌じゃなかったからね。だから、やっぱりある程度、一般のユーザーでも楽しめる範囲で止めておこうていうことだと思うけどね。

■「その後」に『ガンダム』があたえた影響は?

――ガンプラを通して『ガンダム』に関わったことで、人生も大きく変わったと思うんですが?

川口
 『ガンダム』がなかったら、多分ここにいなかったと思いますよ。模型はあくまでも趣味の範囲ということで、もっと堅気の仕事のサラリーマンをやってたと思いますね。

大河原 僕も、TVも映画も終わって、せいぜい後4〜5年と思っていたんですけど、今だに付き合っているということは、一生『ガンダム』と付き合っていかなきゃいけないのかなあ、と。この間も安彦さんと話したんですけど、これも幸せなことだねえ、と半ばあきらめの心境ですけどね(笑)。これも20年続いて、誰かが引き継いで、いまだに頑張ってくれている人がいるからだと思うんですけどね。昔、僕が子供のころテレビで『陸と海と空と』という番組があったんですよ。モデラーが今週は陸、来週は空、とか、自分で作った物を自慢する。あれを見て、すごい人がいっぱいいるだなあ、僕とは縁がない世界だなあと思ってたんですね。それが現在、送る側になっているということ自体、すごくラッキーな人生を歩んできているのかな? と自分のなかで思いますけどね。

――川口さんも、送り手側になられたということで、何か感慨のようなものは?

川口
 自分がユーザーまんまみたいな感覚でいくとだめだ、というのは1年目に大体思い知らされました(笑)。都合というのもよく分かったし。たとえば、最初の『ガンダム』のときは番組が終わった後だったので、ザクってこういう奴というイメージが固まっていたんですね。だから、商品を作りやすかった。ところが、リアルタイムで進行していく新しい『ガンダム』に関わってみると、フィルムになる前に設定画で商品化をすすめるわけですよ。すると、作品の中の扱われ方と、僕らの想定していたイメージにギャップが出てくるんですよね。それに、放映前に設定されている物はいいんですけど、途中から出てくるものには関してはなかなか対応できなくて。
 おかげで、みんなが欲しがるであろう最後の敵が商品化できない。もし僕がお客でも欲しいんだけど、そこまで商品出せないというのでストレス溜まりましたよね。

大河原 基本的には、こういうあやふやなものをスケールモデルにするっていうこと自体、無理なんだし(笑)。

川口 逆に本物がないからけっこうやりやすい部分っていうのもあるんですよね。

大河原 だから、僕はフィルムまでの責任ですよ。フィルムがサンライズの『ガンダム』のスタッフのメッセージなんだから。だいたい、設定がこうでも安彦さんがもう少しボリュームあるものに描いてくればそれがすべてだし。僕は設定だから、こういう形ですよ、ということを伝えるだけの役目ですからね。それを見て、感じた人が、開発した方がより幅広く開発できるじゃないですか。

――そういえば、一番格好いいモビルスーツは安彦さんの描かれたガンダムとザクだとお聞きしたことが……。

大河原
 今だにそう思っていますよ。模型よりもっと格好いいんじゃないんですか? 模型はこのごろ段々格好悪くなっているから。今の時代に合わせるとそうなのかもしれないですが、僕はやはり最初のガンダムがベストだから。最近のはシルエットが違ってきているし、可動ギミック優先ということになれば当然そういう形になっていくし。まあ、あれは市場が納得しているからいんじゃないですか?

■20年目のガンプラ
川口 普通に生活していると、べつにガンダムという言葉が耳に入ってくるわけじゃないんですけれど、みんなどこかで1回引っかかってるんですよ。20代後半から30代半ばぐらいの人にはガンダムって共通の言葉になっている。いろんな業界で、いま現場を動かしているような年代の人たちですね。だから、どこ行っても話するのは楽ですよね。今、僕は商品のプロモーション関係の仕事が多いんですけど、行ってみると全然違う業種の人から「やりたかったんです、ガンダム」とか言われるんですね(笑)。

大河原 ガンダムって、ひとつのブランドになっちゃっているからねぇ。この前、何かの営業が来たときも、「家の名前を見て、もしかしてと思いました」と言って色紙持ってきたし(笑)。そういえば、ボツになったけどガンダム携帯電話という依頼もあったんですよ。ガンダムそのものじゃなくて、それを彷彿させるようなデザインで。モックアップまで作ったんだけど、潰れちゃった。あと、ガンダムじゃないけど「くるり」っていうバンドのリーダーが、メジャーデビューするのでマスコットが欲しい。それをデザインしてくれ、と言ってきて。電車のマスコットの発注を受けたこともありましたね。そんな具合に、『ガンダム』を見た人、『ガンダム』に影響された人が、遊びがてらいろんな仕事を持ってきてくれるので、飽きる暇がないですね。

――今後のガンプラってどういう展開をしていくんでしょうね?

川口
 うーん……これは今、ちょっとわからないですね。

大河原 わかんねえよなあ(笑)。

川口 それがわかると楽なんですけどね(笑)。

大河原 未来が見えると楽でいよなあ(笑)。

――たとえば、MGとかPGの上をいくものとか……?

←『GUNDAM OFFICIALS』とPGのスケール対比はこんなもの。ちなみに、価格的にもPGの定価1万2千円と、『GUNDAM OFFICIALS』の1万5千円という具合にけっこう近い?

川口 さっき言ったような年代の人たちの嗜好には、どこかにミリタリーの匂いとか漂ってたりするんです。それを追っかけていくと、多分MGとかPGみたいになってしまうんじゃないかと思うんですよ。たまたまそういうメカの精密感みたいなところで20年間来ちゃいましたから、もっとほかの選択肢があるはずなんですよね。今、バンダイで設計やっている人間もそうだし、開発やっている人間もそうですけど、ミリタリーとかそういうのにはぜんぜん興味がない。初めて作ったプラモはガンプラという人たちなんです。だから、多分僕らみたいなオヤジの世代とは全然違う感性でガンプラっていうのを見ているはずなんですよ。『ガンダム』に関しても。だから多分これからそういうのが出てくるんじゃないでしょうか?
 たとえば、3〜4年前からアクション・フィギュアブームというのが起きていて。その中で、プラモデルもキャラクターグッズのひとつみたいな感覚でとらえられて、ちょっと垣根が低くなっているんです。だから、そういう手軽に扱える方向というのは、考えていかなければいけないでしょうね。その意味ではトイ事業部の方で扱っている『MSインアクション』みたいな考えというのは、ひとつの正解なのかもしれないですね。ガンプラと集約されがちですけど、別にプラモデル以外の『ガンダム』の商品というのも去年、今年だいぶ出てきていますし、それがある程度受け入れられているんです。

■大河原邦男『GUNDAM OFFICIALS』描き下ろしイラストを囲んで

――今回『GUNDAM OFFICIALS』には大河原さんの描き下ろしイラストが二つ折りカラー口絵で付きますが、これについては?

大河原
 皆川さんのいうとおりに描いています。うちにあるよ、発注依頼書(笑)。

――皆川さんとしてはどういう指示出されたんでしょうか?(笑)

皆川
 『GUNDAM OFFICIALS』のモビルスーツの項目をお渡しして、その中で「〜と言われる」とあるような描写の物を、開発中みたいな感じで描いていただけないか、と。ただ、どういう型番の機体でとか、そのあたりを曖昧にしながら描いていただきました。それで、その開発風景を誰かが盗撮したような感じで。

――もしかしたら、それは後の時代の再現映像かも知れず(笑)。

大河原
 ここまで作ったけど、やっぱりこれはまずいと別の方向に行ったかもしれないし(笑)。

――このイラストを見たときはいろんな解釈ができるんですよね。大河原さん的にはどういう解釈を?

大河原
 うーん……。装甲を外せば、大体こういう感じになっているのかな?という感じで。マニピュレーターも、もう現実には開発されているんだけど、何か開発途上という雰囲気を出すために指を5本でなくて3本にして。実際、3本あれば大体のことはできるし。まあ、あんまり深く考えずに、皆川さんの言ったことを僕なりに楽しませて描かせていただきしまた。

――川口さん的にはいかがですか? こちらのイラストを見て。

川口
 最近こういう設定楽しむ系のって、しばらく触れていなかったので。懐かしいのが半分、ちょっと新しく感じるのが半分。

大河原 もう作りたくはないでしょう。こんな面倒くさいのは(笑)。

川口
 うーん……。3割くらいかな? 作りたい気持ちが(笑)。こういうのもあり、とみんな思ってくれたらうれしいですね。みんないま、どっちかというと『ガンダム』はこういうものだ、と決めてかかっちっゃているので。あんまり余裕ないんですよね。模型誌さんやなんかでも、どちらかというと単品をどこまで作り込むかというような話になっていて。それだと、楽しみ方がひとつになって、ちょっとつまんないな、と。本物がないんだから、自分のイメージで作ればいいんじゃない、というのが根っこにあるので。このイラストからもイメージをふくらませていくのも、すごく面白いと思いますよ。でも最近は、あまり設定遊びする人いないですからねえ。

――MSVの頃だとキャラクターまで作ってましたからね。

川口
 あのへんは、まあ商品を売るというのもありましたから(^_^;)。

大河原 そうだね。半分楽しみで、半分商売(笑)。

――『GUNDAM OFFICIALS』にはすべてのザクのバリエーションも載っているわけですけど、これもそういう感覚で増えていった?

大河原
 僕が1人でやったわけじゃなくて、いろんな人のアイデアが入っているから。『ガンダム』に関してはすべてそうで、いろんな人のアイデアが入っていますからね。ただ、アニメーションというのは、実写とちがって確実にこういう形というものがないんですよね。結局、アニメーターの解釈次第。模型に関しても、もとがアニメーションのキャラクターだから、作り手でいろんな解釈ができる。それでみんなが遊べるというのが、一番よかった。だから、そこで僕がずっと「僕が、僕が」とやっていたら絶対パンクしますしね。

川口 今、模型を作られる方も基本は変わらないと思うんですけど、スケール模型から入ってきた人たちというのは作品のシーンを作りたい。もちろん、デザインがいいっていう前提はあって。たとえばザクを作るのであれば、ザクが何をしているところが作りたい、だれが乗っているところが作りたい。結局メカから向こうにあるドラマみたいなものが作りたくなるんですよね。そのとき、もしかしたらこんなドラマがあったかもしれない。ある意味、自己満足みたいになってしまいますけど、当時もそういう設定遊び的なところが一番面白かったですね。その頃、ホビージャパン社から『HOW TO BUILD GUNDAM』という別冊が2冊出ていたんですけど、1冊目はテレビのシーンベースのジオラマで、2冊目の方はアムロとシャアの話ではなくて別の所での戦いの話だったんですね。そっち2冊目の方でけっこう楽しませていただきました。だから、もっとこうあってもいいかもしれないというのは、『月刊ホビージャパン』で作例やらせてもらったときにはけっこう入れていたつもりです。

■『GUNDAM OFFICIALS』の中に詰まっているものは?
大河原 『GUNDAM OFFICIALS』というのは、『ガンダム』に一番先に関わった人間としてのひとつの財産ですよね。これから『ガンダム』をつくるスタッフにしたら相当苦しいと思うけど、僕にとってこれでひとつ財産が増えました。本当に、よくここまでやっていただけたと思って、すごく感謝しています。ただ、次の『ガンダム』でスタッフをやれと言われたら焦っちゃうね。まあ、多分、やんないと思うけど。

川口 『ガンダム』ってフィクションなんだけど、気持ち的にはしっかり存在するものになっちゃっているんですよね。べつに、懐古趣味にひたるつもりは無いんだろうけど、ここから始まったんだよていうのはどこかに出てきて欲しいですよね。ある意味、『ガンダム』の一番面白かった時期というのが『GUNDAM OFFICIALS』の中に凝縮されているような気分なので。だから、ブームの時に『ガンダム』好きですと言っていた人は、だいたい共感できるんじゃないかな?

――ある種の人にとっては青春が詰まっている本である、と?

川口
 苦労が詰まっている、というのもあるんですけどね(笑)。半分寝ながら『テレビマガジン』の編集部で、パーツにペーパーかけていたこともありますし。

大河原 若かったものねぇ。

――大河原さん的には、この本に詰まっているものと言いますと?

大河原
 この本、ていうより『ガンダム』自体がね。僕も50本くらいの作品にかかわってきて、どれもこれも当たると信じてやっているんです。たまたま、これはすべての条件がそろってしまったけど、それが20年も続くとは想像もしてなかった。多分、それは一番最初にファンになってくれた人がどんどん育ててくれたからでしょうね。僕としても、ただ『ガンダム』だけで終わりたくなかったので、いろんな作品でもがいて、いろんなことをやってきて。そういう意味では、『ガンダム』というのは仕事の活力の原点を作ってくれた作品ですよね。『ガンダム』を超えよう、超えようって20年間やってきましたし。でも、なかなかそれを超えられないので「仕方ない。一生付き合おう」ということになってきたんですね。

川口 さっき大河原さんがおっしゃられましたけど、『ガンダム』のブランドというのは、まさにそうかなという気はするんですよ。いい、悪いじゃなくて。プラモを買う人にもその名前が付いているから欲しいのであって、機能がどうこうということにはふれない人っていうのもやはりいるわけじゃないですか。生まれたころからある『ガンダム』というキャラクターにずっと接してきているという人って今多いんじゃないんですかね? 熱く語る人もいるし、「知っている」ぐらいで通りすぎて行っちゃう人もいるかもしれないし。

大河原 切手までなったものなあ。すごい、名誉なことだなあと思うよ。

川口 で、基本的に『ウルトラマン』とか『仮面ライダー』とか、昔からあるキャラクターっていますけど、どこかで途切れちゃうんです。けど『ガンダム』って途切れずにここまで来ているので、だからやっぱり嬉しいですね。

大河原 途切れさせないでね、スポンサーさん(笑)。

川口 というか、途切れさせると「ガンダムをつぶした奴」っていう汚名が後世まで残っちゃいますから、それは勘弁です(笑)。
文:池上隆之

おおかわらくにお
1947年生まれ。1972年タツノコプロ入社。『科学忍者隊ガッチャマン』のゲストメカ担当を皮切りにメカデザイナーとして邁進。1976年同社を離れ独立。以降、フリーの立場で幾多の作品にかかわる。『機動戦士ガンダム』以外の代表作としては『ヤッターマン』以降のタイムボカンシリーズ、『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』『疾風!アイアンリーガー』『勇者』シリーズなど多数がある。現在は、アニメのメカデザイナー以外にゲームのメカデザインの仕事が増えているとか。
かわぐちかつみ
1961年生まれ。学生時代にガンダム模型の制作で一世を風靡したモデラー・チーム、ストリーム・ベースの一員として活躍。ガンプラまんが『プラモ狂四郎』にも準レギュラーとして出演するなど、ガンプラファンのアイドルとなる。1985年にバンダイに入社。ガンプラなどを担当するホビー事業部に配属され、『機動戦士ガンダムΖΖ』等のガンプラ開発を担当。また、川口名人として名をはせることになる。マスターグレードのプロデュース、ガンダムビッグバンプロジェクトのバンダイ側スタッフを経て、現在はホビー事業部でプロモーションを担当。