『アフタヌーン』2001年1月号に掲載されたインタビュー。そこに載せきれなかった富野由悠季の言葉がある。その中から、よりハードで真摯なメッセージをえりすぐって紹介しよう。
■『GUNDAM OFFICIALS』からくみ取れる宇宙世紀の叡智とは?
こういう話は作品上はタブーなので、作品からハズレたところでこういうことを言っていいかというと多少の疑問があって、今までこういう話をしたことはありません。ですが、いよいよ21世紀ともなれば、そろそろこういうのを真面目に考えなきゃいけない時期にきたんじゃないかと思います。
『ガンダム』がアニメであったおかげで、バカ話で近未来のシミュレーションをすることができました。その宇宙世紀を演出してみて痛感したことは、スペースコロニーや巨大二足歩行ロボットはあり得ないということです。アニメという媒体のおかげで、技術の局所的なところだけを攻めていけば、これだけのことを思いつくこともできるし、逆にこれだけのことをデッチあげることもできるんです。そういった局所的な攻め方というものは、今まさに現実の世界の中で、行われているわけです。ロボット開発もそうだし、コンピュータ技術の特化された使い方みたいなところでも特化されすぎたものが現れています。
僕自身、こういうものをつくる当事者で、そう特化したまま自分が死んでいくのは厭だなと感じはじめたときに、こう考えました。特化した技術や特化した市民性を、今度はすごくジェネラル、一般的という意味でのジェネラル・ミーニングに落とし込む思考回路を、皆さん方がそれぞれ育てていっていただきたいということなのです。そのために、『ガンダム』のようにオタッキーに入っていったものから、「えっ?」ってどこかで歩留まりする人が、1万人の読者がいたら絶対に10人はいるはずですので、そういう知見を持っていただきたいと思うのです。そういう部分からジェネラル・ミーニングっていう部分に取って返して、そこからまた新しいコンセンサスをつくっていくという作業が、これから10年、20年というタームの中でおこなわれるはずです。その上で、30〜40年後に新しく「技術」と「認識論」の問題ってものを突き付けられる時代というものが来るでしょう。そこで次の二千年紀に人類が地球上で永遠に営為を続けるためには、何をしなくちゃいけないか、何をすべきなのかということのコンセスサスが育ってくるんじゃないかなと思っています。そういう一助にしていただければということです。
■なぜスペースコロニーがありえないのか?
スペースコロニーを具体的に絵にするってことは恐ろしいことで、本能的にインフラの部分まで考ました。宇宙戦艦レベルならそんなことは考えないんですが。そしてこの20年間、居住空間ってのを絵の上でいじりまわして、本当に人が千人単位で住み得る空間を手に入れられるのか考え続けてきたわけです。まず工学的に考えて、次に食料と水の問題を考え、空気のことを考えていくとかなり難しいというか無理だということがわかったんです。
アニメの中だから、簡単にああいう居住空間ができました。僕の場合、その中でセル絵といえどもかなり肉体ってものを想定したキャラクターを動かしてきました。そうすると、こういう人たちが本当にスペースコロニーの空間の中で我慢できるのか? 「こいつら、我慢しないよね」というのが見えてきたんです。それが見えてきたとき、具体的に自分たちの暮らしを考えられたんです。
たとえば、最近は宇宙食におにぎりを持っていく。チューブに入った宇宙食とかではなく。そういったものは科学者、技術者っていわれている人たちのマニアックな、おタクな視点で開発されたものだったからです。つまり生きてる体とか動物ってのは、そんな生易しいもんじゃないんです。逆に不自由かも知れないけど、人間というのは強欲な動物で、いろんなものを一人の人間に取り込むことができるんですよ。せいぜい5、6人の科学者が宇宙食ができるといっていても、肉体というものはそんなものに屈服させられるような生易しいものではなかったわけです。肉体には業とか欲とかってものがつきまといます。僕はマイナスとは思わないけど、業という言い方はマイナスに聞こえるかもしれない。けれど、そういうものまで取り込んで、ごく普通に馬鹿な恋愛をしたり、恋愛しないでマスかくだけでいいという生態があり、科学技術を発達させられるというものもあって、その幅というのは、とんでもなく広いんです。一人の人間でもそうなんですよ。それが10人集まったら、百人集まったら、「そんな密封空間の中で暮らせるかよ」って、絶対に生体が拒否します。
結局、人間の生理的な感応力っていうのは、とんでもなく巨大なものなんです。そして、こんな素敵な感性を持っている我々を補完してくれるものなんて、くやしいけれどやはり地球にしかないんですよ。
■ロボットのありえる形とは?
僕はロボットが具体的に家の中に入ってくる状況を考えた時、看護ロボット論というのは容認はします。容認はしますが、僕は基本的に看護ロボットというのはあり得ないと思っています。どうしてかといえば、看護というのは手当です。手当というのは同類の個体が手を当ててくれるから手当てなんです。そこが看護ロボットを提唱する、特に技術屋さんに欠落している感性ですね。それを使って平気で「看護だ、看護だ」といっているケアをする人たち、ボランティアの人たちも神経のずさんさってのはちょっと困ると思います。ただ、日常生活の中で24時間看護しなくちゃいけない老人を抱えているとき、それを補完して24時間待機してくれる看護ロボット、それは必要です。僕もオムツを取り替えるというところまで技術はいくと思ってますし、そういうものはなくては困ります。僕の感覚では多分、そのレベルまで達するのに、あと10年も掛からないんじゃないかなと思ってます。ただ、それが看護になり得るのかといえば、それはあくまで補完するものであって、手当には相当しないということは、理解すべきなのです。
日本語でいう手当って言葉のもっている意味っていうのは、果てしなく深いってことなんですよ。昔の人は手当って言葉はちゃんと手を当てる、ケアするってことは手を下すしかないってことを知っていました。いつの間にか、こういうことを説明しなくちゃ話が通じなくなっている我々の世界はかなり歪んでると思っています。そういうことをわかっていくことが、21世紀の一番大事な、ベーシックなフィーリングであって認識論でもありましょう。その上でテクノロジーをどう駆使していくかという方法論を目指さなきゃいけないのです。僕はもう少ししたら、そういう方向にいくと思ってます。今はまだ科学万能って浮かれてるけど、10年も経てば時代も変わると思ってるので。
文:池上隆之
とみのよしゆき
ガンダムの原作者・総監督。『機動戦士』を冠するTV版『ガンダム』シリーズ、ならびに『∀ガンダム』の総監督として、ファンに絶大な影響力を誇る。そのほかの総監督作品に『無敵鋼人ダイターン3』『無敵超人ザンボット3』『聖戦士ダンバイン』『ブレンパワード』などがある。