一年戦争も末期のことである。
 ジオン公国軍のキシリア・ザビ少将は、乗艦であったグワジン級大型戦艦<グワリブ>の自室へシャア・アズナブル大佐を招いた。
「どうした? 座るがいい」と、すでにソファにあったキシリアは、勧める。
 シャアは彼女の言葉に従った。緊張を隠せぬ様子で、動きはぎこちない。
 ただ、向き合う形でソファに腰を下ろすや、目許めもとを覆う仮面へ手を伸ばしていた。躊躇ためらうさまはいささかもなかった。仮面はするりと外れ、シャア・アズナブルのおもてがキシリアの前に顕わとなった。
 この青年士官の素顔を目にしたキシリアは、「やはりな」と呟き、
「いわれてみれば、父上の面影がある」
 と評した。彼女はわずかに小首を傾げ、微笑みすら浮かべていた。
 シャアは視線を揺るがすこともなく、キシリアの言に、「はい」と応じた。
 公国の礎となった革命家、ジオン・ダイクンの息子であることを認めたのだ。
「気づかぬものだ」キシリアは自嘲する。「だってそうだろ。キャスバル・ダイクンとシャア・アズナブル……違いすぎる」
 シャアは弟ガルマの士官学校からの友人でもある。キシリアは士官学校時代のビデオも見ていたはずだが、ザビ家のすぐそばにジオンの子のあることに気づかなかった。
 キシリアの弁にシャアは、目を逸らすかのように顔を伏せた。
「ドズル閣下から左遷されて、キシリアさまから呼ばれたときに、いつかこのようなときが来るとは思っておりましたが、いざとなると怖いものです」
 彼は右の手を持ち上げ、「手の震えが止まりません」と、上目遣いにザビ家の女を見遣った。
「わたしだってそうだ」
 キシリアはいう。「おまえの素性を知ったときは、さすがに笑ったよ」
「お笑いになった?」
 と、鸚鵡おうむ返しにシャアは問う。
 キシリアとシャアは微妙な駆引きをしている。
 自分の正体が露見していることを知り、シャアはあえて素顔をさらした。にもかかわらず、キシリアへ怯えている自分を見せる。恭順の態度、といってよい。
 一方、キシリアはこのシャアの態度が芝居だと承知している。姑息こそくな復讐者が正体の露見に及んで動揺しているなどとは見ない。シャアは試している。キシリアがなぜ、自分を手許に置いたのか、口にさせようとしているのだ。
 だから、彼女はこのように続けた。
 ……そうだろうが? わたしは4歳ごろのキャスバル坊やと遊んであげたこともあるのだよ、お忘れかい? それが、ガルマの死ぬときの《赤い彗星》らしからぬ働きとか、フラナガン機関に接触しはじめた先読みのシャア……少しはおかしいと思って当然だろう? そういうしたたかな士官が、キャスバル坊やなんて、腹が立つより可愛いじゃないか。
 麾下きかに置いたシャアに、自身への不穏な動きを見出せなかったのだろう。キシリアはこの青年がザビ家への復讐をあきらめたと考えている。
「で、おまえにニュータイプ部隊を預けるからには、本心を聞きたいな」
 柔らかくではあるが、キシリアの言葉は問いただすものだ。
 キシリアに、ガルマを謀殺したシャアへの復讐心はない。肉親の情よりも重要なものがあった。「腹が立つより可愛い」と評したのは、シャアが自分と同じ種類の人間だと考えたからにほかならない。
 ジオン・ダイクンはザビ家のデギン・ソド・ザビによって暗殺されたといわれている。息子のキャスバルがザビ家に復讐を誓うのも理解できる。だが、キシリアが目の前に語っているのは、キャスバルではない。個人的な感情で動く青年ではないと見ている。
 社会的、政治的な目的のために行動する人間としてシャア・アズナブルを位置付けている。
 そのようなシャアが、芝居であっても恭順の姿勢を取る理由は何か。
 だから、彼女はシャアに、「ザビ家打倒をあきらめて、なお、キャスバルがではなく、シャアが目論もくろんでいるものを」聞きたいと質す。

 キャスバルではなく、シャア。
 冒頭にこの会話を挙げたのは、ほかでもない。キシリアのこの言葉のためだ。
 私人であるキャスバル・レム・ダイクン。
 公人であるシャア・アズナブル。
 ジオンの子であるキャスバルが、本来ならば、《公》の性格を帯びるものと思いがちだ。しかし、彼の人生を思うに、偽名であったシャア・アズナブルのほうが、《公》の性格を濃く示している。
 キシリアとの会話で描いたように、一年戦争時代のシャアは仮面を着用していた。ジオン・ダイクンの面影を見出されるのを避けるためだ。
 軍装の変更について比較的自由だった公国軍を見回しても、目許をすっかり隠してしまう仮面は異様で、他に類例を見ない。
 当然、他の軍人たちから奇異なものとして見られた。
「奴はなぜマスクを外さんのだ?」
 コンスコン少将は、そのように部下へ問うている。
 部下はシャアの顔にひどい火傷の痕があると語る一方で、反対に、「美男子だとの噂もあります」と教えた。火傷というのは仮面を被るための方便に過ぎないと、周囲も勘繰っていたのである。
 有能であるが、どこか胡散うさん臭い男として、シャアは見られていた。
 仮面という存在に込められた表象を、W.B.イェーツは次のように定義している──「社会的自己を意味し、自分の個性に対する本人の考えと他人の考えとの間の相異を表す。また防御の鎧ともなり、攻撃の武器ともなる」。
 イェーツの定義のように、彼の仮面を捉えることは、あながち間違いとはいえまい。
 シャアという偽名は、ザビ家に近付くための「仮面」であった。彼は、キャスバルとしての復讐心を仮面の下に隠し、ザビ家の信を得、末弟ガルマを謀殺している。「防御の鎧」であり、「攻撃の武器」だ。
 キシリアは、「キャスバルがではなく、シャアが目論んでいるものを」と問うた。イェーツ流の解釈が許されるならば、「社会的自己」の目的を質したといえる。
 仮面が、仮面としての役割を越えたものこそ、彼の生涯にほかならない。
 彼が「シャア・アズナブル」の名を手に入れた時点では、「キャスバル」が「シャア」を演じていたはずだ。ところが、「キャスバル」の名さえも、後の第二次ネオ・ジオン戦争時には仮面のように機能してしまう。彼は明らかに、「ジオンの子、キャスバル」という役割を演じようとしていた。
 この奇怪な入れ子構造はどういうことか。
 彼の演ずべき役割が変わったのである。人の生き方を決める多くの部分は自身の意志に拠っている。演目を変えたのは自身の決断であろう。たとえ、それが時代の要請であったとしても、行動したのは彼である。
 彼の人生を記そうと筆を執った際、最初に考えたのはこの点だ。
 キャスバルではなく、シャアの生涯を扱うべきだと思った。

つづきは書籍でお楽しみください。

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